京都地方裁判所 昭和54年(タ)40号 判決 1980年2月20日
主文
一 原告が、本籍京都市下京区西七条南月読町七五番地、亡林邦廣の子であることを認知する。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
主文同旨。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告法定代理人堀内由美子(以下由美子という)は昭和四八年五月ころより主文一項に掲げる亡林邦廣(以下邦廣という)知り合い、昭和四九年春ころより同人と生活を共にするようになつた。
2 昭和五〇年八月三日、由美子は懐胎したこともあつて邦廣と結婚式を挙げ、同人らは婚姻届に署名・捺印したが、この婚姻届を保管したまま提出しなかつた。
3 昭和五〇年八月四日付で邦廣は戸籍の分籍届出をなし、同日受理、同日同人単独の戸籍が編成された。
4 昭和五〇年一一月初め邦廣が家出をした。
5 昭和五一年二月一〇日原告が出生した。
6 昭和五一年二月二三日由美子は邦廣の所在が不明であつたこともあり、同人の実兄林幹雄を介して、それまで保管していた前記婚姻届と、原告の出生届を京都市左京区役所に提出、受理され邦廣を筆頭者とする前記戸籍に入籍した。
7 その後由美子は邦廣の親族の了解を得て昭和五一年五月八日協議離婚届を作成、原告の親権者を由美子とする旨記載した上で京都市左京区役所に提出、受理され、同年五月二一日由美子の戸籍が編成され、同年七月一六日原告は母由美子の氏を称する旨届出られ、同年八月一〇日原告も由美子を筆頭者とする戸籍に入籍した。
8 その後、昭和五三年一二月初め頃邦廣の実家に新潟県警東署より身許不明死体の照会があり、由美子、林幹雄らが赴き邦廣の死亡が確認され、同人の死亡は昭和五〇年一一月一日ころと推定されたので、昭和五三年一二月二〇日林幹雄がその旨の届出をし、同日受理された。
9 なおこのようなことがあつたので、前記婚姻届、出生届、離婚届、母の氏を称する旨の届出は無効であるので、戸籍訂正の許可の審判を求める申立を昭和五四年三月一五日京都家庭裁判所になし、昭和五四年五月七日付戸籍訂正許可の審判を得、同審判は確定した。
よつて、これにより戸籍訂正の申立をした結果、亡邦廣と原告は戸籍上親族関係はなくなつた。
10 以上の経過から亡邦廣と原告は父子関係があることは明らかである。
(一) ところで、本件の場合亡邦廣の死亡は昭和五〇年一一月一日ころと推定され、原告の親権者由美子らがそれを知つたのは昭和五三年一二月初め以降で、死後すでに三年を経過しており、本訴請求は民法第七八七条但書に抵触する。しかしながら、右但書が認知の訴の出訴期間を父または母の死亡の日から三年以内と定めているのは、身分関係に伴う法的安定性が害されることを避けようとするにあり、本件のように亡邦廣の死亡を知つたときすでに出訴期間を徒過していたという事案の場合には、個人の尊厳(憲法第一三条)、法の下の平等(憲法第一四条)の原則から、期間徒過後も子の救済が計られるべきであり、前記但書の適用は許されない。
(二) また原告の法定代理人由美子は何ら落度なく、邦廣の死を知ることができなかつたのであるし、婚姻届を有効であると信じていたのである。かかる場合は原則に戻り民法第七八七条但書の適用は排除さるべきである。
(三) 更に、民法第七八七条但書の合理性は、前述のように身分関係に伴う法的安定性の維持を目的とするところにあるとされている。したがつて、本件のように邦廣、由美子の両親族が原告は邦廣の子であると認め、その認識のとおり戸籍を改めて欲しいと願つている状況下では、右但書の適用を排除したところで、何ら身分関係に伴う法的安定性が害されることは起り得ず、右目的を貫徹する必要もないことから、但書の適用は排除さるべきである
よつて本訴請求に及んだ。
二 答弁
請求原因事実はすべて不知。
第三 証拠(省略)
理由
一 その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一ないし第九号証、証人林幹雄、同堀内禎子の各証言、原告法定代理人堀内由美子本人尋問の結果によると、原告主張の請求原因1ないし9の事実を認めることができる。
右認定事実によれば、原告は亡邦廣の子であることは明らかである。
二 ところで本訴提起日は昭和五四年五月二四日であることは本件記録により明らかであるから、邦廣の死亡した昭和五〇年一一月一日ころよりすでに三年以上経過しており、本訴は民法第七八七条但書の出訴期間を徒過している。しかし前記認定事実によれば邦廣は昭和五〇年一一月初め家出し、その後内縁の妻、原告法定代理人由美子、その他の親族には、その所在はおろか生死さえ不明であつたのであり、右の者らが邦廣の死亡したのを知つたのはすでに死後三年を経過した昭和五三年一二月初め以降であつたのであるから、この様な場合にも右但書の出訴期間を遵守させるのは難きを強いるものというべきであろう。右但書の立法趣旨は認知請求権者の利益保護と、身分関係を長期に浮動状態に置くことによる法的不安定の除去という、社会的利益との調和を図るにあると解されるが、前記事情のある本件の場合においては、但書を適用することが果して右の立法趣旨に合致するものであるか否かを検討する必要がある、と考える。
三 前顕各証拠によると、右婚姻届は結婚式当日に、結婚式場で、仲人である片山寿昭夫妻の、証人としての署名、押印も得て作成されたものであること、亡邦廣、由美子の両親、親族も、右両名の婚姻に賛成であり、式にも列席し、婚姻届が作成されたことを知つていて、届も現実になされたものと信じていたこと、真実は婚姻届はなされなかつたのであるが、それは両名に婚姻する意思がなかつたからではなく、いつでも届出ることができるという安易な考えから、つい失念したものであること、両名の両親、きようだいは、亡邦廣失跡後、由美子より聞かされて始めて婚姻届のなされていなかつたことを知り、更に由美子より改めて、前記婚姻届を提出することにつき相談を受け、これに同意したこと、しかもかかる婚姻届も有効である、と信じていたこと、がそれぞれ認められる。右認定に反する証拠はない。
右認定事実によれば、昭和五三年一二月、邦廣の死亡が確認されて、死亡届がなされ、昭和五四年三月一五日京都家庭裁判所に戸籍訂正許可の審判を申立てるまでは、亡邦廣、由美子の両親、親族は、両名を法律上の婚姻をした夫婦であり、したがつて原告を両名間の嫡出子である、と信じていたことが明らかであり、また証人林幹雄、同堀内禎子の証言によると、これら両親、親族は本訴請求の認容されることを望んでいることが認められるから、いま本訴請求が認容されても、親族内部において、法的安定性が損われるおそれはまずないと考えられる。また右事情に加うるに、邦廣、由美子が挙式の上、原告につき民法第七七二条一項の類推適用される形で夫婦として同棲していた事実を併せて考えると、対外的にも右おそれは稀有と考えられる。
そもそも民法第七八七条但書は、所定の場所につねに適用され、絶対に例外が許されないものではないことは、特別法として、「認知の訴の特例に関する法律」(昭和二四・六・一〇、法律二〇六)が存することにより明らかである。右法律の設けられた所以は、同法所定の如き情況下で死亡した者につき、民法第七八七条但書を適用するときは、認知請求権者の利益保護と、身分関係を長期に浮動状態に置くことによる法的不安定の除去という社会的利益との調和を破り、反つて但書の立法趣旨に反するからである、と解せられる。そうすると同様の事情のもとにあつては、右但書の適用を排除することも、許されないものではない、といい得る。本来右但書を遵守することが不可能であつて、これを強いることが認知請求権者たる原告に酷であり、これを適用しないとしても法的安定性を阻害することが稀有であると考えられる本件の場合も、但書を適用することは、前記調和を破り、不当に認知請求権者の利益を害し、右但書の前記立法趣旨に反するもので、適用しないことにより反つて右趣旨に合致するものと考える。よつて本件には右但書は適用されないものと解する。
四 そうだとすると本件訴は適法であり、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。